★生きるとは、歩くとは 大阿闍梨・酒井さんが残した言葉

2013年09月25日 17:25

 

生きるとは、歩くとは 大阿闍梨・酒井さんが残した言葉

 

 

 蓮(はす)の葉を模した笠(かさ)に、白装束姿で比叡山の峰や谷を飛ぶように駆け抜ける。地球1周分を歩き、拝む千日回峰行を2度成し遂げた大阿闍梨(だいあじゃり)・酒井雄哉(哉は右上から下へのはらいがなし)さん(87)が23日、亡くなりました。酒井さんにとって、生きるとは、歩くとは何だったのか。生前の酒井さんに伺った朝日新聞のインタビュー記事(2008年2月)を採録します。(聞き手・友澤和子)

大阿闍梨の酒井さん死去厳しい修行2度、常に自然体

  • 血筋もキャリアもなし。ぼくは身を挺して何かをやんなきゃと思った。

 ――続けられなくなったら自害する決まりがある厳しい「千日回峰行」になぜ挑もうと?

 行に入る前に姉に「山を歩くよ」と報告したら、「いいわねえ」だって。ハイキングでも行くと思ってたんじゃないかな。ぼくは坊さんの血筋でもないし、キャリア組でもないのに、仏さんの世界に入れてくれた。じゃあ何をやったらいいんだろうって。ぼくみたいに出遅れている人は、身を挺(てい)して何かやんなきゃなんないんじゃないの?って、思ったわけよ。

 ――修行中は、無の境地?

 そんなことあらへんよ。阪神タイガースファンだからな、今日勝ったかななんて思って歩いたことあるよ。こりゃ、仏さんに悪いことしたって、一生懸命ざんげして、拝んで。そんなことの繰り返しで、ハハハ。

 ――9日間の不眠不臥(が)の「堂入り」は特に過酷だとか

 4日目くらいから死斑が出てきて、魚のくさったようなにおいがしてきてな。死臭だな。やらないと分かんないもんだな。元の体に戻すには27日は養生せよと伝えられている。何事も元に戻すには3倍の時間がかかるんだな。

 生死のふちを感じてみると、なんと尊いものをいただいているかと思うよ。だから、簡単に命を殺すようなことを決してしてはいけないんだよな。

 ――7年がかりのこの行を2度も満行し、今はどんな毎日を

 3時半に起きて4時に自坊の不動滝で顔を洗って身を清めて、桶(おけ)に仏様にお配りする水を持って自坊を巡る。本堂行ってお勤めして。

 お客さんが来れば、お相手して。夕方からお勤めして食事。1、2時間、ひと寝入りする。深夜零時半くらいまであれこれ仕事して、またちょっと寝る。それを毎日毎日くるっくる、くるっくる、やってるんだ。

 ――お肌がピンク色でつやつや光っています

 同じことを繰り返してやってんのが、ええのとちがう? 食べる量は少ないし。だからいいね。よくみんなにね、「あんたそんな生活して、だいぶお金残したでしょう」なんて言われるんだけど、それが全然残んないんだよ、ちゃんと。うまいことできてんねえ、アハハハ。

 ――「生き仏」と言われる偉い行者様なので、実はとても緊張して参りましたが……

 こないだの人もね、カチカチになって来て、出て行ったとたんに、「安心したわー」なんて言ってるの。

 やっぱりねえ、お寺のいやなところいっぱい見たからね。格式とかな。ぼくが大阪からお寺に来た時には、お坊さんの前に行ったら、じーっと襟を正して座ってお話を聞いてさ、坊さんは坊さんらしいふるまいをする。お客にもランクがあってさ。ええランクが来るとこっちは無視されちゃうわけよ。そういうの見てていやだったからねえ、自分が坊さんになったら、そういうのはずしちゃったの。

 でも、坂本の方の信者のおばさんたちからは、「阿闍梨さんらしくちゃんとしてください」なんて怒られちゃう。「ええんじゃ、おれはおれだ」なんて言っちゃって。

 ここ、お寺っつう感じじゃないだろう? ほら、仏様のとこなんて倉庫になっちゃって。こないだ来た人、「本当に行をしたんですか?」なんて言うんだもん。「したことになってんですよねえ」なんてな。

 いつも言ってるんだよ。おれ死んだらお葬式いらねえからって。ちょっと出かけて来ますわって、そういうのがええわな。

続きは・・